ホーム 詩歌 随筆 小説 ブログ(日記) 掲示板 更新履歴 自己紹介 メール リンク サイトマップ
|
理子がある男と付き合っているということを聞いてから、私はこの世を生き地獄としか捉えることができない。 理子を恨んではいない。私は、他人を恨んだり、嫌ったりする人生というのを忌み嫌っているからである。しかし、そんな私が本来理子に向けてしかるべき恨みというものを向ける対象は自分に他ならない。理子に愛されない私の性格、さらには今までの人生そのものを否定してしまうのである。私は、恨みを自分自身にしか向けることのできない自分自身もまた、どれほど恨めしく思っただろうか。 あれは4月27日のことであった。理子からの電子メールに、ある男と付き合っているということが書いてあった。私は、理子自身もこのことで思い悩んであろうことは理解できた。しかし、私にはどうしても理子の文脈が理解できなかった。 『どうして、今まであなたを愛してきた私を差し置いて、突然の登場人物と付き合い始めてしまうのか。』 だが、私にとってあの悪夢のようなことは、必ずしも悪いことではなかったに違いない。理子から疎まれつつあった私にとって、その原因を知らされたことは、知らされぬままに疎まれ続けるよりはどれほど良いことであっただろうか。 特にはじめは、私はそのことを全くと言ってよいほど悲観的には捉えなかった。慌てずとも、2年後、3年後の幸福というのは不可能なことではないと思われたからである。 しかし、そんな積極的な考え方は一晩限りのものであった。私はその翌日から、日々悶々として過ごした。確かに、未来の幸福への希望はそう簡単には失われうるものではないかもしれない。それでも、私にはどうしてもその生き地獄のような瞬間が耐えられなかったのである。 私は紛いなりにも小説家であり、詩人でもある。そんな私にとって、恋というものは常に研究の対象であったし、私には人並み以上にsentimentalな一面が備わっていたのである。私は自分のそんな一面が、それまでは非常に好きであった。他人から詩人だと言われるのも好きだった。しかし、その時ばかりは自分のそんな一面がどうしても恨めしいものに思われたのである。 確かに、そのときに書いた作品と言うのは、私の作品の中では5本の指に入るような作品ばかりだったかもしれない。しかし、私はそのときの作品をもう持ってはいない。詩人としての自分に別れを告げるべく、その時の作品のすべてを葬り去ってしまったのである。 私は、理子を愛することを放り出してしまいたいと何度も思った。理子を自由にさせてあげたいと何度も思った。しかし、考える度ごとに、私は理子を愛し続けたいという思いを再確認するばかりであった。美しい黒髪、気品のある所作、そして何よりも温かな心遣い。私には、彼女のすべてが、愛すべき人としてふさわしく、そして長きを共にするにこの上ない女性であるかのように思われてならないのである。 私は、数ヶ月ほど前に1篇の小説を書いた。暖かな女性を愛していた男が、うわべばかり美しい女性に魅かれてしまうという物語だ。男は、後者の女性を選び、ついには結婚するに至る。ところが、その女性には、男を愛そうという思いがなかった。愛されることばかりを望んでいたのである。はじめはその容貌にひたすら魅かれていたので、男はそんなことを返り見ることなどしようとも思わなかった。しかし、果たしてその男の人生は破滅してゆく。癒されることのない人生は彼を無気力にした。一流大学を出て、最前線で働くエリートであった彼も、ついにはリストラを告げられる。妻はそれを気遣うどころか、夫を厳しく責め立てた。そんなときにふと目に留まった古い恋人の写真。男ははじめて自らの犯した過ちに気がつく。そして、もはやどうにもならぬと決め付けた男は、失意のうちに川に身を投げる。 これというのは、私が自身の身に起こりうると思っている最悪のhistoryのひとつである。 私は、自分の中に棲みついている獣に気がついていた。その獣は美しい女性を食らう。ひたすら美しい女性を食らい続ける。女性の内面には目も向けずに。 私は理子を美しいと思っている。そして、何よりも内面的にすばらしいと思っている。それゆえに、私の理子への恋というのは、感性と理性とが一体となった恋ともいえる。しかし、私には、そのような恋ができるのはこれが最後となってしまうかもしれぬと思われることがあるのだ。しかして、私は、かの小説の男がごとくならぬためにも、理子を愛し続けなければと思うのである。 では、感性と理性とが一体となった新たな恋に、私が傾き始めたことがなかったかというと、実はそうでもない。私は琴美という女性と知り合った。そして、私は彼女の内面に、確かに温かいものを感じたのである。しかし、それでも今、理子のことを愛しているのは、私は、理子をもはや「温かい人」などという一般名詞では捉えていないからである。理子が「理子」であるゆえに、私は理子が恋しいのだ。理子の美しい面も、どうしても理解し難い面もすべてを含め、理子が「理子」として恋しいのだ。 『ああ、理子よ。私は、あなたに迷惑ばかりかけているということを十分にわかっているつもりです。しかし、私にはあなたを愛さなくなることなどできはしない。理子は私にとってかけがえのない「理子」なのだから。』 『私が理子を手放してあげたとしたら、きっと理子は幸せでしょう。しかし、私にはそれができないのです。私が理子を最大限に幸福にしてあげられるのは、理子と共にいるこによってであるに違いないと思うから。』 |
Copyright © 2007 Itaru Yamamoto all right reserved.
ホーム 詩歌 随筆 小説 ブログ(日記) 掲示板 更新履歴 自己紹介 メール リンク サイトマップ
↑コンテンツごとのランキングです。クリックで「Sentimentalisme」に投票できます。